OAN06142005-08-12

日航機事故から20年。TBSとフジで特番をやっていた。
TBSの方は事故の調査をされていた藤田さんという方の証言を中心に、フジはミヤジさんという息子さんを亡くされた方の証言をもとに再現ドラマなどを交えながら当時とその後と現在を伝えていた。
前者は勉強しながら、後者は裏番組を見ながら見ていたので全体のストーリーなどは良くわからなかったが、改めて悲惨な事故だったのだと感じた。


1985年
当時僕は中学2年生。そう言えば祖母を亡くした年だ。なんとなく楽しい学校生活の中で(今でも自分的に一番楽しかったクラス)ある日突然祖母が亡くなった。
親戚のおばさんを亡くしたことはあったが、幼稚園時代のことで殆ど覚えていない。実質、初めて身近な人の死に触れた瞬間だった。
一緒に暮らしていたわけではないし、入院がちだった祖母を熱心にお見舞いに行ったこともなかったが、きっと亡くすことは悲しいことだろうと思っていた。
しかし、実際は涙も出なかった。比較的よく泣く方な自分が涙を流さなかったことに戸惑いを感じていたことを覚えている。


その後(何歳のときだったか忘れたが)祖父の死も体験した。この時は、大学卒業後で無職引き篭もりのような生活をしていたので、通夜や葬式で親戚の人と顔を合わせるのが気まずく、何となく憂鬱な気分で参列していたことは覚えている。


そして、2000年に父を亡くした。前日まで普通に仕事をしていて、当日の朝もいつも通り朝食をとり、昼前には母と買い物に出かけたりしていた。
しかし、父はその日にクモ膜下出血で意識を失い、翌日には他界した。全く信じられない本当にあっけない最期だった。


123便の遺族の方が、自分たちは昨日までとは違う状況にいるのにそれでも世間は平常通りに流れていることがすごく変な感覚だったと言うような話をされていた。
自分も父を亡くしたとき同じような感覚を覚えた。昨日までとは全く違う現実。しかし、世間は昨日までとは何ら変わらず流れている。そして自分自身も今またその時間の流れの中にいる。
でも、未だに心のどこかではけじめがつけられない自分がいたりもする。
僕は病気で父を亡くしたおかげで、遺体はキレイなまま棺に入れてあげることができた。それでも、その父の姿は辛く悲しい思いで見送った。
フジのドラマでとりあげられていた方は、わずか9歳の息子さんを亡くされたそうだ。発見され、棺に入れられた遺体は右手の指の先だけ。
あまりにも現実離れしたその状況は、きっと計り知れない程の苦痛を遺族の方に与えたのだと思う。


日本航空は今日もトラブルがニュースになっていた。先日のJRの事故もそうだが、こういう事故の記憶は決して風化してはいけない。同じ苦しみをもう誰にも味合わせてはならない。家族を亡くす辛さを知る人なら普通にそう考えそうなものだが、日本航空の人たちは違うのかな?


あれから20年。今日もいつも通りの時間が流れている。